道院長挨拶

 

二代道院長として

  私は、小学生のときに西条道院へ122期で入門をしました。今673期なので45,6年少林寺拳法をしてきた事に成ります。小、中、高校と西条道院で稽古に励み、大学は東農大の拳法部で稽古を積み、1973年3月大学卒業で帰省、西条道院で稽古を再開、そして松山にも指導に行き始め現在に至っている。今までの少林寺拳法人生を省みて練習の辛さ、厳しさ、指導にしてもしかり、色々と難問、難題があっても乗り越える事が出来たし、乗り切ってきた、逃げる事もなかった。何故なら少林寺拳法が大好きだったから。故前道文道院長が一生涯をかけた大好きな少林寺拳法、私も本当に少林寺拳法がだいすきです。大好きだから続ける事も出来たし、飽きることなく練習も出来たし、難問、難題、壁も乗り越える事が出来た。やはり、この「好きである」という事が一番大切な事ではないでしょうか。人を押し動かす最高のエネルギーに成る物です。何事においても、いやいやするよりは好きで自分からするほうが能率も上がり、また成功する確率もうんと上がってくるものです。好きだからやり通せた、我慢できたということはたくさん見聞きする事です。好きな分野の事柄はすぐに頭に入るし理解をしようとする。難問でも解いてみようとするけど、嫌いであれば時間を掛けても頭に入らないし、頭から理解しようとしない。また難問なんてものは手もつけない。では「好き」とは何か、少林寺拳法の場合、少林寺拳法は大好きです、でも実際に体を動かす事はどうも、では駄目で、根本的には体も頭の中も動かす、行動する事が好きでなくてはならない。どうすれば良いか。イチロー、ゴジラのようなスーバースターを造って憧れを持たせて好きにさせるか、もちろん大切な事で否定するものではない。でもイチロー、ゴジラだけ造る事を目指すのではなく個々の指導の中でそれぞれのレベルに合ったイチロー、ゴジラを目指すのであって、その中で一人二人と頭角をあらわして結果レベルの高いイチロー、ゴジラに成る事は全然かまわない事で喜ばしい事である。基本的な方法としては、小手抜の技が出来た、その時小さな完成が喜びに変わり、その事が小さな自信につながり、喜びと自信の積み重ねが好きに変わっていく。好きだから練習を繰り返し、完成の喜びが積み重なり、又その事が自信の裏づけとして働きまた好きになる。好きになるサイクルが出来ると、体も頭も動かす事、行動する事に楽しみが付いて来て何にでも応用が利いてくる。しっかりとした好きになるサイクルが出来上がれば自分自身でそのサイクルをスパイラルにしていく事が出来る。指導者としてはこの好きになるサイクルが壊れず確固たる自分のものにするまでが指導であって、手助けである。この様に少林寺拳法の好きな、大好きな人々を育てていきたい。少林寺拳法を好きになってもらって楽しく自己確立、自他共楽をめざし理想の仲間造りが出来あがれば最高である。故前道文道院長が一生涯を掛けて造り上げた大切な西条道院、半世紀以上の歴史を持ち、ここを巣立っていった立派な人たち、一生涯を少林寺拳法に掛けている人たち、武勇伝の多い豪傑な人々、良き仲間、良き門下生、何を取っても私の理想です。私にとっては本当に大切な大先輩ばかりで一番の財産です。もちろん故前道文道院長が一生涯をかけた少林寺拳法、少林寺拳法の目指す人造りと仲間造りを継承していく決心です。「好きこそものの上手なれ」言い古された言葉ではありますが、「好きになれば大丈夫」。大丈夫にしていきたい、この事を持って二代道院長になった心境と決意の締めくくりと致します。

二代道院長  近 藤 悦 朗

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