道 院 の 沿 革

 

(少林寺拳法五十年史より)

設立日:1954年(昭和29年)5月9日

優秀拳士を多数輩出、愛媛県の草分け道院

 1953(昭28)年4月に、近藤道文が開祖の指示を受け、新居浜市の青年たちを指導するために、新居浜上部に本部直轄新居分道院(同年10月に中萩道院と改称)を開設した。香川県からの県外第1号の道院である。だが、指導上いろいろ不便を感じた近藤は1年間で"通い道院長"を辞し、自宅のある西条市に改めて西条道院を発足させる。54年5月9日、同道院の1期生12入で認証を受けた。63年には(社)日本少林寺拳法連盟所属の支部としても登録した。

●本山帰山。開祖と供に西条白蓮隊の面々(1965年頃)。

 だが、当時の少林寺拳法はまだ社会から認知されておらず、どこにも道場として貸してくれるところはなく、思案の日が続いた。2カ月は自宅の四畳半で頑張つてみたがどうにも狭すぎる。そこで裏の畑を地ならししてそこに道場を建てようと思い立った。近藤は職場の共済組合で10万円を借りたが、まだ数十万円足りない。本山に帰って開祖に頼むと、「ワシは人に金はやっても貸さん主義だ、自分の力でやってみろ」と叱咤された。

 その言葉で目が覚めた近藤は、その日から手づくりで道場建設を始めた。基礎の上に節だらけの柱を建て、屋根だけは葺いたところで横には菰をはり、下にはむしろを敷いて練習開始。仕事の合間を見て、床板もカンナのかかっていない安い板をはり、ガラスの破片で磨きあげるとピカピカの道場ができ上がった。壁は近くで竹を切ってきて下地をつくり、赤土を素手で塗って壁らしいものにした。

 「最初の拳士たちが必死に手助けしてくれ、やがて不完全だが道場ができた。拳士の間に鉄のような結束ができ、みんな一丸となって少林寺拳法の普及に遭進できたことが何よりもうれしかった」と、近藤は述懐する。

●桜井海岸にて合宿訓練。

 だが、戦後のすさみきった時代のなかでの道院運営はたいへんだった。暴力団関係や既成武道との対立に、宗教上の問題も加わった。拳士が夜道で襲われるというような露骨な挑戦もあいついだ。そのため幹部拳士が交代で、夜11時、12時まで待機、何もないと見定めてから帰る日が続いた。そして夜回りをして、不良狩りをするうちに、いつのまにか『紅蓮隊(こうれんたい)』という名がついた。共に力を合わせて道場をつくりあげる過程でできた、生涯的な幹部を養成する組織であると、開祖のところに登録にいくと、「愚連隊(ぐれんたい)と間違われるようなまぎらわしい名前つけるな、『白蓮隊』はどうだ」と言われた。清く正しい行為にふさわしい名だということで、その時から『白蓮隊』に改めた。

●1955年夏、西条道院幹部と石鎚登山練成。

 近藤は時期を同じくしてできた今治道院とも密接に違絡をとりながら対処したが、当時世話になった外部の人として、元海軍大佐の鈴木秀次氏、県会議員(当時)の伊藤一氏をあげておきたい。56年10月、開祖を招いて西条の第一回達磨祭がおこなわれた。開祖をお招きしたところ開祖は喜んで、如意棒を持ってずっと陰から警備についてくれた。それほど暴力団の勢いの強い時代であった。

●1956年10月、ダルマ祭にて。西条道院前の白宅を出発前の一コマ。

 57年10月、総本山少林寺の第1回達磨祭は、多度津町の秋祭りと並んでおこなわれた。ぽろぽろのオート三輪に仁王像を積んで5日の朝本部へ運んだ。ここに機関紙『少林寺拳法』(11月号)の記事を紹介しておきたい。「同日午後7時から本部葡を出発した高さ7尺の大だるま2台と、はるばる愛媛県西条市から参加した1丈2尺の大仁王をはじめ、本部、各道院から持ってきた小だるま20数体が四百余名の拳 士たちにかつがれ、『だるまの祭だ、ワッショイワッショイ』とかけ声も勇ましく、まず国鉄多度津駅前広場で、先導車のマイクが音頭を取り「拳士の歌』などを次々と合唱したあと、午後10時ごろまで『暴力と迷信排除』のスローガンを掲げて町内を練り歩き、町民からの声援と拍手を浴びて有意義に幕を閉じた」。

 現在では少年部が主体になっているが、近藤の掲げるテーマは一貫して「社会が必要とする人材の養成」である。少年たちに対しても、「他人に迷惑をかけない」「弱い者を助ける」「活発で明るい」をモットーにしている。できれば生涯教育として少林寺拳法を続けてほしいという希望だ。

 練習は月木、火金、水土曜日の三部制。月木のみ午後8時30分から10時までを大人の時間とし、さらに日曜日などに技術の補習をおこなっている。さらに第一日曜日は昇級考試と有段者研究会にあてられる。そのほか公民館もち回りで近くの拳士を集めて補助をおこなうこともある。

 近藤の悩みの1つは、小学生が中学生になると、部活動などの関係で少林寺拳法から離れざるをえなくなり、大学の少林寺拳法部でも、小学生時代に少林寺拳法をやった者の入部がきわめて少ないこと。申学校に少林寺拳法部ができるとこの悩みは解消するが、現在は皆無に等しい。生涯教育という観点からも、ぜひこの問題を打開したいと近藤は訴える。

 全国的にも伝統ある名門道院だけに、拳士には現在も活躍中の拳士が多く、高橋恒治、横田仁、本田修(故人)、細川正義、高橋貞夫、本田演昭、塩見嗣善、大石哲也らがあげられる。また現在の助教陣は伊藤憲正、行元勉、塩見昇、伊藤道雄、久門征洋、野口隆司、田中晃らの顔ぶれが浮かぶ。

 本部の年中行事にはむろん全面的に参加している。道院の鏡開き式は毎年正月第一日曜日におこなっているが、かつて盛大に街頭に繰り出していた達磨祭はなくなり、今は10月5日に儀式だけが残されるのみとなった。代わりに5月12日には、しめやかに開祖忌法要が催されている。

●1978年5月21日西条市体育館にて。西条道院の最も盛んなりし頃。

 

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